2023/02/08 14:06


選択する 「迷う自分から選ぶ自分へ」
間もなく母の一周忌を迎えます
今回の法要を終えた時点で、遺骨は私が在住している土地へ迎え入れる決断をしました
この話は兄弟姉妹と何度も何度も繰り返し話してきた結果の選択です
それは、各自が置かれている環境が”墓=継承し守り残す”という考え方が出来ない現実に直面しているからにほかなりません
主な理由は
誰も墓がある故郷に住んでいない
それぞれがすでに老齢という領域に入ってきた 次は自分(笑)
檀家寺へは車で近い者でも2時間近くかかる
それぞれに子供はいるがさらに遠隔地のため継承できるかわからない 自分の悩みを繰り返させるだけではないか
信仰からのご住職の考えは理解はできますが、現実問題として
わたしが常識的に判断でき身体が動くうちは何とか周りにお願いして継続することも可能でしょう
しかし、自分の想いだけで次の世代やその次の世代へ信仰を繋ぐことができたとしても、物理的な距離と時間、お金を差し出せとは言えないし、多少残したとして限界がある
当然、叔父、叔母からは反発もあります
”母が育った土地を離れ遠いところへ移すのはかわいそうだ”
確かに心情としては響きます
しかし、この問題に対しては何の解決策もならないとおもっています
いま、私の選択は兄弟以外の親戚やお寺さんには受け入れがたいものかもしれません
でも、何処かで誰かが決断し選択しなければならない問題
全ての人たちにいい顔をしようと思っても、それは問題の先送りであり、誰かに決断と責任を押し付けてしまうことに他ならないから
ならば、縛り付ける周りの概念から自身を自由にして、他人にどう思われてもいいから、自分の考えを採用する
もちろん、同時に責任も引き受けます
つまり、私が人生の主人公であり、そこに居続けるという選択です
ただ、これは私の考えであり正解でも参考にしてくださいでもありません
それぞれがご自身の立場に立って考え、選択するだけだとおもっています