2025/12/24 09:42


私たちが「これは現実だ」「世の中とはこういうものだ」と信じているものの多くは、実は自分自身で確かめた事実ではありません。

幼い頃から、家庭や学校、社会やメディアを通して「そういうものだ」と教えられてきた考え方が、いつの間にか疑いの余地のない現実として心の中に定着しているのです。


多くの人が何気なく口にする「世の中はそんなもんだ」という言葉は、真実を表しているというよりも、これ以上考えないための“区切り”のようなものです。

そこには、安心もありますが、同時に可能性を閉じてしまう側面も含まれています。


よく見てみると、私たちは世界そのものを見ているのではなく、

自分が採用している視点を通して世界を見ているだけだということに気づきます。


何を当たり前だと思うか。

何を「現実的」と判断するか。

何を諦め、何を可能性として残すか。


それらはすべて、日々の中で選ばれています。


ただし、その多くは意識的な選択ではありません。

過去の経験、周囲の価値観、傷つかないための防衛反応によって、

「こう見たほうが安全だ」「こう考えたほうが楽だ」という視点が無意識に選ばれ続けています。


ここで誤解してはいけないのは、

「すべては自分の思い通りになる」とか、

「現実は全部自分のせいだ」といった極端な考え方です。


そうではなく、もっと静かで現実的な事実があります。


それは、

私たちが経験している現実は、必ず何らかの前提を通して立ち上がっている

ということです。


「自分には無理だ」

「年齢的に遅い」

「社会は厳しい」

「努力しても報われない」


これらは絶対的な事実ではなく、長い時間をかけて採用され続けてきた“見方”です。


大切なのは、それを否定したり、無理に変えようとすることではありません。

まず、「自分はいま、こういう見方を使って世界を見ているんだな」と気づくこと。

それだけで十分です。


その瞬間、世界が劇的に変わるわけではありません。

けれど、そこに小さな余白が生まれます。


「この見方を、これからも使い続けるかどうか」

その問いが立ったとき、人は初めて自分の人生の足元に戻ってきます。


現実とは、固定された完成形ではなく、

日々、選ばれ続けている“進行形の体験”なのです。