2026/03/26 13:50

## 契約書にサインしても、終わらないことがある。
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昨日、実家の片づけと、不動産屋・産廃業者との契約を終えた。
物理的にはこれで全部終わった。そのつもりだった。
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今朝、起き抜けに妹の言葉を思い出した。今日は桜マラソンで、駅周辺に大規模な交通規制があると。慌てて路線を調べたら運休の可能性あり。戸締りして飛び出したら——やはり、バスが来ない。
タクシーも手配できず、デカい荷物を引きずりながら、仕方なく歩き始めた。
歩きながら、ふと気づいた。
この土地に、ちゃんとお別れをしていなかった。契約書にサインして、鍵を閉めて、それで終わりにしようとしていた。でも身体の奥のどこかが、静かに「まだだよ」と言っていた気がした。
だから歩いた。
故郷の空気を吸いながら、ここで育ててもらったことへの感謝を感じながら。30分ほど歩いて、疲れてバス停で腰を下ろしたとき、バスが来た。
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物理的な始末をしても、身体の奥がまだ納得していないことがある。
頭で「終わった」と決めても、どこかがざわざわしていることがある。そのざわざわを無視して先へ進もうとすると、なぜかうまくいかなかったり、同じことを繰り返したりする。それはおそらく、場がまだ開いたままだからだと思う。扉を閉めずに次の部屋へ行こうとしているような、どこか中途半端な感覚。
逆に、身体の奥からの感覚に従って、もう一手を丁寧にやり切ると、すっと軽くなる。そしてその軽さの中に、不思議と新しい風が入ってくる余地が生まれる。場をきちんと閉じたとき、はじめて次の扉が現れる気がする。
終わりにも種類があるのかもしれない。書類の上の終わりと、身体の奥からの終わり。前者だけでは場は閉じない。後者まで丁寧にやり切ったとき、その場所との縁が完了し、新しい道が静かに口を開く。
今日の故郷が、荷物を引きずりながら歩くわたしに、そっと教えてくれた。
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Seed House 京都 シンジ