2026/04/10 12:22

喉の奥の火焔と、私を締め上げる「番犬」の正体

先週の名古屋での濃密な二日間を終え、私は今、かつてない「凪(なぎ)」の中にいる。

目標はわかっている。やるべき手順も、体調も、決して悪くない。それなのに、どうしてもエンジンがかからないのです。

これまでのような「稼がなきゃ」という切迫感も、未来への焦燥も、どこか遠い国の出来事のように感じられている。

世間ではこれを「歳をとった」とか「腑抜け」と呼ぶのかもしれない。私自身、この気力の湧かない自分に苛立ち、失望し、何度もダメ出しを繰り返してきたし、今も、そうだ。

「この人生、何をどう生き切りたいのか」が見えない。

その暗闇の中で、私の中にある本能が、今、猛烈に「吠えたい」と叫んでいる。

しかし、叫ぼうとする瞬間に、何かが私の喉を強烈に締め上げるのだ。

それは、私がこれまでの六十八年の人生で築き上げてきた、最強の「防衛本能」という名の思考ということに気がついた。

 

喉を締め上げる「忠実な番犬」

私はこれまでの人生、社会の中で「正解」を出し続けることで自分を守ってきた。また、求められても来たようにも思う。常識的でありなさい、道徳的でありなさい、周囲を安心させる「シンジ」でありなさい。という虚像、あるいは理想像であるべきと思っていた。

 

喉を締め上げるその手は、私にこう囁く。

「吠えてしまったら、すべてが壊れるぞ」

「積み上げてきた立場も、人を癒す優しさも、家庭さえも、すべて灰になってしまうのではないか」

その恐怖が、私の喉に指をかけ、全力で蓋をしている。

もしこの蓋を外してしまったら、私は私でいられなくなる。そんな根源的な恐怖が、私の「火焔」を封じ込めていた。

 

だが、皮肉なことに、その締めつける力が強ければ強いほど、私は私自身の背後に、薄く、しかし確実に立ち上る「火焔」を感じずにはいられない。それは、紛れもない私の命のエネルギーだ。

 

かつての私は、この喉の詰まりを「克服すべき課題」や「取り除くべきブロック」として分析していた。だが、今の私は少し違う見方をしている。

 

この喉を締め上げる力は、私を攻撃しているのではない。

実は、今この瞬間も、必死に私を守ろうとしてくれている「忠実な番犬」なのではないか。

「守ってくれて、ありがとう。でも、少し苦しいんだよ」

そう内側で声をかけてみる。

 

「正しく在らねばならない」という思考と戦うのをやめ、その力を認め、受け入れる。すると、攻撃的だったその質感は、不思議と「保持」するための温かな力へと変わっていくような気がした。

 

葛藤という名の「錬金術」

いま、私の喉の奥では、凄まじい「錬金術」が起きているのだと思う。

喉を締め上げる「思考」は、私が生きてきた証である「知性」。

背後に揺らめく「火焔」は、私の中に眠る圧倒的な「生命力」。

 

この二つが、喉の奥という狭い場所で激しくぶつかり合い、溶け合おうとしている。

実際に声が出にくい。

一見、それは苦しい葛藤に見える。だが、この融合を経て生まれる言葉は、もはや単なる理論や感情ではないだろう。それは、相手の肉体や事象に現象を起こさせる「言霊」へと進化するはずだ。

 

「何をどう生き切るか」が見えないのは、当然なのだ。

今、私の「器」は、かつての私には収まりきらないほど大きく作り直されている最中なのだから。

 

新しい器が完成するまでは、中身は空っぽに見える。

気力が湧かないのも、熱が上がらないのも、古いエンジンを無理に回して、新しく生まれ変わった繊細な器を壊さないための、身体の知性なのかもしれない。

 

「生き切る」ということの、本当の意味

私は、この「悶え」をそのままに、今日を生き切ることにしてみた。

と書きながら、たいそうなことはできないのもわかっている。

だから、

無理に喉をこじ開けて叫ぶ必要はない。

出せないのなら、足の指を思い切り丸めて地を掴み、ペン先が紙を突き破るほどの筆圧で、ぐちゃぐちゃな線を書きなぐればいい。枕には悪いがサンドバックになってもらおう。

喉から逃がせない熱を、物理的なバイパスを作って身体の末端から逃がしてやる。

 

「生き切る」とは、何も輝かしい目標を達成することだけを指すのではないと思う。

見えないことに苛立ち、自分に失望し、それでもなお、この1杯の黒豆茶の温かさを感じ、目の前の人の瞳を見つめる。

 

その「どうしようもない今」から一歩も逃げ出さずに、その不全感を味わい尽くすこと。それこそが、今の私にとっての「生き切る」ということ…なんだろう。確信はないけど。

 

真剣さが足りないのではない。

私は今、かつてないほど真剣に、自分の命と格闘している。

背後の火焔は、決して消えることはないだろう。

それが私の命、そのものみたいだからだ。

オーバーだといわれてもそうなんだよ。

 

この「凪」の先に、どのような光が待っているかはまだわからない。

けれど、私はこの「ズン」とした重み、喉の詰まり、そして消えない熱を抱えたまま、しかるべきタイミングが来るのを待とうと思う。

 

この不甲斐ない、けれど猛烈に生きている私の「悶え」が、どこかの誰かの、何かのヒントになればと願っている。


Seedhouse京都 シンジ